「それは間違ってるよ」では差別は無くならない

昔、中国人男性と恋に落ちたことがある。彼と結婚したいと親に話したとき、
「中国人なんて、やめておきなさい!」
と、母に一刀両断された。
「私はともかく、おばあちゃんは昔の人だから、あんたが中国人と結婚したいなんてゆったら、心臓発作起こすかもしれないでしょ。ぜったいに言ったらあかんよ!」
それまで家族と人種や差別などについて会話したことがなかった私にとって、身近な「人種差別」に衝撃を受けた瞬間だった。でも、母の言いたいことは感情として理解できる、と思う自分もいた。
「モノ」から「マルチ」へ
ある英語のニュース記事に、日本の学校は「モノカルチャー(単一文化)」だという表現があった。学校だけでなく、日本全体がモノカルチャーだと思うのだが、これが日本人に「人種差別は他人事だ」という勘違いを起こさせているのかもしれない。
差別は人種だけではない。
たとえば、最近ときどき話題になるLGBTの問題。
こういうマイノリティの人たちに対して無神経な発言ができる人は、きっとまわりにLGBTの友達を持たないのだろうと思う。近しい友人がLGBTであったり、またはそうだとカミングアウトしたら、同じことが言えるのか、と尋ねてみたい。
比較的新しい日本語に「ブラック企業」という言葉があるが、私は肌の黒い友人の前でこの言葉を使うことができないし、日本人としてそういう日本語の単語を持っていることを恥ずかしく思う。
その理由については以前別ブログで書いているので、ここでは重複しないが、普段日本語で使っていると、ふと油断した時にそのまま英語化してしまう危険性がある。すると、かなり周りのひんしゅくをかってしまうので、日本語で話すときにもできるだけこの言葉(「ブラック企業」とか「ブラック」)は使わないようにしている。
世界のどこにもパーフェクトな場所はない
夫に言わせれば、隣人のTは人種差別主義者(=レイシスト)だという。確かに、きわどいジョークも言うし、そうなのかもしれない。でも、肌が黄色い私のことはとても可愛がってくれるし、日本酒をいっしょに飲み、酔っ払ったときでも「差別的な発言をされた」と感じたことはない。
おそらく、彼は、だれか他の白人がアジア人に対して人種差別的な暴言を吐く時、私のことを思い起こすことだろう。
何が言いたいのかというと、社会や文化や交流が多様化すればするほど、―――簡単に言うと世界中の人と友達になることができれば、人種差別は縮小されるはずなのだ。
だって、あなただって、友達や大切な人が差別されて悲しむところは見たくないでしょう?
性的マイノリティや肌の色が違う友人がたくさんいればいるほど、つまり交際が多様化すればするほど、「その人を傷つける発言や行動」はできなくなるはずだと信じている。
「違う」ことは「過ち」ではない
極端な例だが、アフリカやアジアの一部の地域では、未だに「女性器切除(FGM)」という習慣が存在している。
これを「女性蔑視」や「女性虐待」だといって、外の世界にいるものが彼らをいくら糾弾しても、その習慣は無くならないだろう。
世界中には、傍から見れば、野蛮だとか人権を無視していると思える習慣がたくさん散らばっている。日本も例外ではない。しかし、彼らに対して外側から「それは間違っている」「そんな野蛮なことは金輪際やめなさい」と批判することが問題解決になるだろうか。私はそうは思わない。
その文化の内側にいる人たち自身が声を上げること、それが大切なのだから。
あなたの直感を無視してはいけない
不愉快なこと、理不尽だと感じた時に、その「直感」を信じてみてほしい。
「こんな扱いを受けるのは、果たして正当なのだろうか」
「母も祖母もこうやって耐えてきたのはわかるけど…」
「なにか違うと思うんだけれど、我慢するしかないのか」
「この不快感と屈辱感に耐えられないワタシはどこか変なのか」
あなたの直感は、意外と間違っていない。
そして、ほんの1行のツイートでもいいから、声を上げるべきだ。世界に尋ねてみるといい、「私のこの感覚は間違っているのか」と。
どうすれば差別は無くなるのか
貧困な国にお金を与えさえすれば、それで世界から貧困が無くなるわけではない。差別も同じで、「それは間違っているからやめなさい」といえば、世界から差別がなくなるわけではない。
大切なことは、その渦中にあって「この状況を変えたい」と声を挙げる人に、自由に表現できる環境を与えてあげることだと思う。
「井の中の蛙」という言葉があるが、その渦中にいる人の中でも本当は何人かの人は「何かがおかしい」ということに気づいている。そしてその中の数人が井戸の外へと興味を持った時に、手を差し伸べられる人でありたいと思う。
私は金持ちでもないし、特別なコネクションを持っているわけでもない。でも、私にはコトバがある。もし、あなたが声を挙げるなら、勇気と共感くらいなら、与えてあげられると信じている。
Originally published at https://www.hanatabito.com on February 19, 2019.
