e id="c949"><img src="https://cdn-images-1.readmedium.com/v2/resize:fit:800/1*eVp_tRNo37_nCqF4cO_HBQ.jpeg"><figcaption>st Boris and Gleb Church, Hrodna in Belarus, photo by Hana in 2019</figcaption></figure><p id="b063">「こんな教会は見たことがない」</p><p id="185c">教会の敷地内には、ロシア正教の十字架が掘られた石辺があり、その周りの花壇で一人の男が黙々と作業していた。建物はドアが二重になっており、外側ドアを開いたところに女性物のスカーフがかごに入った状態で置かれていた。</p><p id="3e5a">「君、何色がいい?」</p><p id="f7e7">私は一番上にあった、白地に琥珀色のバラが描かれているスカーフを頭から被って、夫のあとに続いて中に入った。</p><p id="702a">数メートル高さから、金色を背景に描かれたイエス・キリスト画が何枚も設置され、厳かな雰囲気を醸し出していた。白灰色のレンガ石が積み重ねられた柱が何本も天井に向かってそびえ、小さな教会の屋根を支えている。土産物コーナーの女性以外には誰もおらず、でも、あまりに神聖すぎて写真を撮ってはいけない気がした。</p><p id="3a3f">イエス・キリスト像とその後光、今は火が入っていない燭台、中央にすっくと飾られた生花。石灰色のレンガ壁がそれらを囲むようにひっそりとたたずんでいて、気持ちがしんと落ち着く気がした。</p><p id="0f8d">―――私たちは、なぜ祈るのか。</p><p id="0599">同じ疑問が再び湧き上がってきた。</p><p id="68e2">生きることが苦しいから何かに助けを求めるのか。それとも、祈ることは私たちの本能に刻み込まれているのか。</p><p id="5b40">私は祈るのが苦手だ。祈りを捧げている人たちを見るといつもこう思う。「彼らはなんと無防備なのだろう」</p><p id="76da">頭を垂れ、十字をきる、あるいは合掌する。背中を丸くして地面にひれ伏す。そうしてひたすら自分を、信じるものとの対話に集中させる。</p><p id="a083">それは死の恐怖や生き続けることへの不安と折り合いをつけるための儀式、古代から脈々と続けられてきたセラピーなのかもしれない。</p></article></body>
祈り
ベラルーシ旅行記
St. Basil’s Cathedral, Hrodna in Belarus, photo by Hana in 2019