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Abstract

http%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DMd6MOeAaYGQ&image=https%3A%2F%2Fi.ytimg.com%2Fvi%2FMd6MOeAaYGQ%2Fhqdefault.jpg&key=a19fcc184b9711e1b4764040d3dc5c07&type=text%2Fhtml&schema=youtube" allowfullscreen="" frameborder="0" height="480" width="854"> </div> </div> </figure></iframe></div></div></figure><p id="4f80">ベラルーシの人々は芸術性が高いというが、こんなにも美しいハーモニーランドを日常的に聴いたり歌ったりしていれば、嫌でも音楽センスが身につくだろう。</p><p id="abe6">教会を出て進行方向にズンズン進む。しばらく行くと、石畳の歩行者専用道があり、おしゃれなレストランやパブが軒を連ねている。どこを切り取っても美しく、スマホカメラのシャッターをクリックする手が止まらない。</p><p id="fa79">そのまま進んでいくとオールドフォートレスとニューフォートレスがあった。その向こう側には川があり、小さなクルーズ船が泊まっている。橋の上から新旧のフォートレスの方角へ望むと、丘の上に木造の建物が見えた。ジッと目を凝らすと、屋根の上に銀色の小さなドームがあり、その上にローマ正教の十字架が、曇り空をバックにか弱くきらめいていた。</p><p id="f7ee">まるで、隠れ教会みたいだ。</p><p id="9f87">そう考えたとき、夫が言った。</p><p id="cf3f">「あそこまで歩いてみよう」</p><p id="4ef9">橋の付け根から川面近くに降り、廃墟となった工場跡地をぐるっと回りこむように進む。小さな橋を渡ると、右手に石でできた階段があり、教会までの足がかりになっていた。</p><p id="9155">少し急なその階段を登って行くと、それは完全に木造ではなく、石とレンガで作られた教会だとわかった。まるで、その作りをカムフラージュするかのように、建物の半分だけ木板を打ってある。レンガが露出した部分にはところどころ大きな岩がはめ込まれていて、さらにタイルのような緑や青の石もデコレーションされていた。</p><figur

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e id="c949"><img src="https://cdn-images-1.readmedium.com/v2/resize:fit:800/1*eVp_tRNo37_nCqF4cO_HBQ.jpeg"><figcaption>st Boris and Gleb Church, Hrodna in Belarus, photo by Hana in 2019</figcaption></figure><p id="b063">「こんな教会は見たことがない」</p><p id="185c">教会の敷地内には、ロシア正教の十字架が掘られた石辺があり、その周りの花壇で一人の男が黙々と作業していた。建物はドアが二重になっており、外側ドアを開いたところに女性物のスカーフがかごに入った状態で置かれていた。</p><p id="3e5a">「君、何色がいい?」</p><p id="f7e7">私は一番上にあった、白地に琥珀色のバラが描かれているスカーフを頭から被って、夫のあとに続いて中に入った。</p><p id="702a">数メートル高さから、金色を背景に描かれたイエス・キリスト画が何枚も設置され、厳かな雰囲気を醸し出していた。白灰色のレンガ石が積み重ねられた柱が何本も天井に向かってそびえ、小さな教会の屋根を支えている。土産物コーナーの女性以外には誰もおらず、でも、あまりに神聖すぎて写真を撮ってはいけない気がした。</p><p id="3a3f">イエス・キリスト像とその後光、今は火が入っていない燭台、中央にすっくと飾られた生花。石灰色のレンガ壁がそれらを囲むようにひっそりとたたずんでいて、気持ちがしんと落ち着く気がした。</p><p id="0f8d">―――私たちは、なぜ祈るのか。</p><p id="0599">同じ疑問が再び湧き上がってきた。</p><p id="68e2">生きることが苦しいから何かに助けを求めるのか。それとも、祈ることは私たちの本能に刻み込まれているのか。</p><p id="5b40">私は祈るのが苦手だ。祈りを捧げている人たちを見るといつもこう思う。「彼らはなんと無防備なのだろう」</p><p id="76da">頭を垂れ、十字をきる、あるいは合掌する。背中を丸くして地面にひれ伏す。そうしてひたすら自分を、信じるものとの対話に集中させる。</p><p id="a083">それは死の恐怖や生き続けることへの不安と折り合いをつけるための儀式、古代から脈々と続けられてきたセラピーなのかもしれない。</p></article></body>

祈り

ベラルーシ旅行記

St. Basil’s Cathedral, Hrodna in Belarus, photo by Hana in 2019

5月28日水曜日

グロドノの街を散策した。ここは隣国やミンスクからの観光客が増えているようで、鉄道駅のすぐ近くにインフォメーションオフィスが設置されていた。中のスタッフは英語が上手なので、英語が話せる人の助けが必要なときはここを訪ねてみるといいかもしれない。

インフォメーションオフィスで、あまり種類は多くないが絵葉書も置かれていて、無料でいただける。私たちは、そこで次の目的地までのバスの時間を確認して、市内観光に出た。

鉄道駅から南西へ伸びるElizy Azeski通りをまっすぐ行くとSvyato-Pokrovskiy教会がある。

この国では、教会の中に入るとかなりの確率でコーラスが合唱されていた。このときもその例にもれず、牧師を取り囲むように女性たちが賛美歌を歌っていた。その歌声はとても美しく調和がとれていて、無性に記録したい欲望にかられた。

しかし、この国に入った初日に首都ミンスクの教会で撮影して怒られたのを思い出して、今回はひっそりと隠し撮りした。

ベラルーシの人々は芸術性が高いというが、こんなにも美しいハーモニーランドを日常的に聴いたり歌ったりしていれば、嫌でも音楽センスが身につくだろう。

教会を出て進行方向にズンズン進む。しばらく行くと、石畳の歩行者専用道があり、おしゃれなレストランやパブが軒を連ねている。どこを切り取っても美しく、スマホカメラのシャッターをクリックする手が止まらない。

そのまま進んでいくとオールドフォートレスとニューフォートレスがあった。その向こう側には川があり、小さなクルーズ船が泊まっている。橋の上から新旧のフォートレスの方角へ望むと、丘の上に木造の建物が見えた。ジッと目を凝らすと、屋根の上に銀色の小さなドームがあり、その上にローマ正教の十字架が、曇り空をバックにか弱くきらめいていた。

まるで、隠れ教会みたいだ。

そう考えたとき、夫が言った。

「あそこまで歩いてみよう」

橋の付け根から川面近くに降り、廃墟となった工場跡地をぐるっと回りこむように進む。小さな橋を渡ると、右手に石でできた階段があり、教会までの足がかりになっていた。

少し急なその階段を登って行くと、それは完全に木造ではなく、石とレンガで作られた教会だとわかった。まるで、その作りをカムフラージュするかのように、建物の半分だけ木板を打ってある。レンガが露出した部分にはところどころ大きな岩がはめ込まれていて、さらにタイルのような緑や青の石もデコレーションされていた。

st Boris and Gleb Church, Hrodna in Belarus, photo by Hana in 2019

「こんな教会は見たことがない」

教会の敷地内には、ロシア正教の十字架が掘られた石辺があり、その周りの花壇で一人の男が黙々と作業していた。建物はドアが二重になっており、外側ドアを開いたところに女性物のスカーフがかごに入った状態で置かれていた。

「君、何色がいい?」

私は一番上にあった、白地に琥珀色のバラが描かれているスカーフを頭から被って、夫のあとに続いて中に入った。

数メートル高さから、金色を背景に描かれたイエス・キリスト画が何枚も設置され、厳かな雰囲気を醸し出していた。白灰色のレンガ石が積み重ねられた柱が何本も天井に向かってそびえ、小さな教会の屋根を支えている。土産物コーナーの女性以外には誰もおらず、でも、あまりに神聖すぎて写真を撮ってはいけない気がした。

イエス・キリスト像とその後光、今は火が入っていない燭台、中央にすっくと飾られた生花。石灰色のレンガ壁がそれらを囲むようにひっそりとたたずんでいて、気持ちがしんと落ち着く気がした。

―――私たちは、なぜ祈るのか。

同じ疑問が再び湧き上がってきた。

生きることが苦しいから何かに助けを求めるのか。それとも、祈ることは私たちの本能に刻み込まれているのか。

私は祈るのが苦手だ。祈りを捧げている人たちを見るといつもこう思う。「彼らはなんと無防備なのだろう」

頭を垂れ、十字をきる、あるいは合掌する。背中を丸くして地面にひれ伏す。そうしてひたすら自分を、信じるものとの対話に集中させる。

それは死の恐怖や生き続けることへの不安と折り合いをつけるための儀式、古代から脈々と続けられてきたセラピーなのかもしれない。

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